レゴブロックに 魅せられて
人間による創造物の全てをレゴ・ブロックで表現できるなら、ポルシェ・モータースポーツの世界は どのように形作られるのだろうか。最初から完成図を予想できる組み立てキットでは満足できなくなっていた マルテ・ドロフスキーは、本物のレーシングカーを手本に、市販のレゴ・ブロックを使って限りなくオリジナルに 近いポルシェのレプリカ製作に挑戦した。だが、そこで直面したのは、子供のおもちゃ遊びとは比べ物に ならない困難を極める作業。心から納得のいく形に仕上がるまで、実に数週間もの時間がかかったのだった。
朝食の席で、時折途方に暮れた表情を見せるマルテ・ドロフスキー。その大きな茶色い瞳で遠くを見つめているかと思いきや、次の瞬間、「最初の頃は、妻が 何度も『あなた大丈夫?』と聞いてきたものですよ」と笑みを浮かべ、はにかみながらすまなそうな顔を見せる。今はその心配から解放されたというドロフスキーの妻は、朝食で夫が垣間見せる厳しい表情はクリエイティブな思考を巡らせている証なのだということを理解している。そう。この時、彼の頭の中にあるものは、ホイールハウジングを拡大するのに “ 象の牙 ” を用いてみてはどうか、ということだけなのである。朝食後、マルテ・ドロフスキーはいつものように仕事に出かけ、仕事が終わって帰宅すると、専用の作業部屋──その名も “ レゴ・ルーム ” で、象の牙を使うというアイディアが適切かどうかを 試す。彼が作業に取り組む姿は真剣そのものだ。
レゴとは、様々に色分けされたプラスティック製の組み立てブロック玩具で、元来、デンマークの木工職人によって考案され、1950 年代以降、世界中の子供(とその親)から愛され続けてきた。メディアデザイナーとしての職業訓練を受け、北ドイツの大手オンラインポータルサイトで働いている 32 歳のマルテ・ドロフスキーも、レゴに魅了されたマニアのひとりである。彼の名刺には “ マーケティング部門責任者 ”と記載されているが、極力その肩書きはアピールしたくないのだと いう。うっすらと髭を蓄え、フードの付いたトレーナーにスニーカーというごく普通の装い。彼の外観に何か特別な要素があるとすれば、 高い身長と、幸せな幼少時代を過ごしてきであろうそのオーラだ。実際、彼は幼少期、完成キットとして販売されていたレゴカーは全て自分で組み立てていた。しかし、いつの日からか説明書通りに組み立てることに物足りなさを感じるようになり、オリジナル・モデル制作の世界 に没入していく。そして最終的に “ レゴでポルシェを作る ” というテー マにたどり着いたのだ。過去、レゴからポルシェの組み立てキットがリリースされたことはなく、スポーツカー独特の流麗なシルエットをブロックで再現するというテーマは新たな挑戦となる。熱狂的なレゴ ファンであるドロフスキーが、ポルシェをレゴで精密に再現するために必要とされるもの──それは壮大なファンタジーだろう。「リアのホイールハウジングからリアセクションへと流れ込むダイナミックなラインをブロックで表現するのは非常に困難な作業でした」と目を輝かせ ながら話す。
4 年の間に計 30 台を超える 1 / 16、または 1 / 17 スケールのポルシェのレプリカを組み立てたマルテ・ドロフスキーは、さらなる高みを目指すため、制作にはレゴ社から正式に販売されているブロックのみを用いなければならないというルールを自らに課している。ブロックの加工や着色も禁じ手だ。例外はただひとつ。スポークが青やピンクであると見栄えが悪くなるため、クローム仕上げにしている点だけだという。
メディアセンター
海賊やロボットなどの空想フィギュア、アニメや映画、スーパーヒー ロー。レゴ社は魅力的なモチーフをブロックで表現するキットを次から次へと開発し、子供たちを魅了し続けてきた。単純なブロックで複雑なイメージを形にしていくレゴ・ワールドに喜びを見出してきたマルテ・ドロフスキーにとって、ダイバーが手に持つ黒い銛をウィンドウウォッシャーに、海賊フィギュアでお馴染みのフックをロールバーのジョイントパーツに、牢屋窓の鉄格子をバケットシートの土台に用いるといった具合に、パーツの応用方法に知恵を絞り、それがぴたりと はまった瞬間が醍醐味なのかもしれない。
ドロフスキーの創作活動が行われるレゴ・ルームは極めてシンプルにまとめられている。唯一の工具であるピンセットが置かれた作業机を中心に、周りにはレゴ・ブロックが種類別に整理された 20 個のプラスティック製クリアボックスが積まれ、それ以外の小さなパーツは食器棚に収められている。この他、彼が幼少期に使っていた子供部屋に作品に流用できそうな特別な部品がある場合は、わざわざ両親の住む リューネブルガー・ハイデまで足を延ばすというから徹底している。 特殊な流線形を描くダッシュボードカバーに使われているパーツは、 まさに実家からピックアップされたものだという。曰く「これはヒーロー フィギュアが身に着けていた黒いマントですが、確かバットマンだったと思います」
世界中のレゴマニアたちは、ブログに自分の作品を公開したり、写真を ファンサイトや SNS に投稿するなどしてコミュニケーションをとっている。レゴの世界ではスター的な存在となっているマルテ・ドロフスキーのもとには設計に関する問い合わせが殺到し、中にはお金を支払うとまで言ってくる人もいるらしいが、それは自らのポリシーに反するのだとドロフスキーは苦笑する。そもそも、スティーブ・マクィーンの愛車として有名な白いポルシェ 908 の設計プランなどは、彼の頭の中にしか存在していないのだ。「もし誰かの頼みで設計を引き受けたりしたら、仕事になってしまいますからね。私はあくまで余暇の楽しみとしてレゴを作っ ているわけですから、それは本末転倒です」とドロフスキーは言う。
彼にとっては、非公式の組立説明書を販売するビジネスチャンスよりも、911 カブリオレの折り畳み式ソフトトップをレゴでリアルに再現する方法に思索を巡らせる時間の方が大事なのだろう。冒頭にご紹介した朝食のシーンで巡らせていたあの時間である。マルテ・ドロフスキーは今、 自分が作ったレーシングマシーンの展示場所について大掛かりな構想を抱いているらしい。そう、ポルシェ・ミュージアムをレゴで再現して、その中にレゴ・ポルシェを飾ろうという一大プロジェクトだ。
ドロフスキーは今回の取材に当たり、お気に入りのレゴ・ポルシェをフォトスタジオに持ち込んでくれた。彼はカメラマンがシャッターを切る直前に、サスペンション付近に向かって注意深く息を吹きかけて埃を掃い、リアスポイラーがボディにしっかり固定されているか指で押して確認する。自らの作品に対してこれほどの愛情があるなら、もうひとつの作品──現在 1 歳半の息子パウル君との触れ合いに戸惑う心配はないだろう。自宅にお邪魔した 際、パウル君の小さな掌にはデュプロのレゴ・ブロックが握られていた。
しかし、ドロフスキーは息子との近い将来に対して、一抹の不安を抱いていると言う。それは、息子がデュプロを卒業して普通のレゴで遊べる年齢に達した時、息子とどのようにレゴで遊べばいいのか、という問題だ。息子のレゴ・ルームへの入出を許可すべきか、否か。もし許した場合、子供が父親の “ 設計事務所 ” の秩序を乱すリスクも当然想定できる。例えば、真紅のポルシェ 917 ショートテールが棚から落下し、1523 個のレゴ・ブロックが散乱する可能性だってないわけではない。険しい表情で近い将来を見つめるマルテ・ドロフスキーは、すぐには答えを導き出せない様子で、「 いずれ何らかの解決方法を見つける必要がありそうですね」と重大な問題を先送りにするであった。
文 Johannes Schweikle
写真 Steffen Jahn
マルテ・ドロフスキーがレゴポルシェ917を組み立てるシーンの閲覧をご希望ですか? ご興味の方はそのショートフィルムをポルシェ・ニュースルームのhttp://newsroom.porsche.com/EN/Christophorus.htmlよりご覧いただけます。