タイヤに課せられた使命
ポルシェの厳しいテストに合格したタイヤにだけ与えられる “N” のマーク。ヒストリック・ポルシェの足元を飾るに相応しいその称号は、ドライビングプレジャーを約束する。
ワインレッドのポルシェ 356 を極限領域で走行させた場合、どのような反応を示すか。ディーター・レッ シュアイゼンの興味は、その一点にだけ向けられている。52 年前に製造された 356 は、オーバーステア気味にドリフト走行をしたかと思えば、アンダーステアで前輪から滑っていく。このクルマの制御は、テストドライバーのレッシュ アイゼンにとっても至難の業だ。
「本来、こいつはもっといい走りをしてくれるのですよ」と、レッシュアイゼンは不満顔でテスト報告書に記録する。「この車輛とタイヤの組み合わせは不合格ですね。リアの方がフロントに比べて俊敏なので、高度なハンドルさばきが必要とされます。特にタイヤのグリップ力が、部分的に突然失われるのは致命的ですね。少なくとも、標準タイヤとしてポルシェが課している基準はクリアしていません」。かくして、濡れた路面でのテストは不合格となった。もちろん、そのタイヤにも優れた特性は数多くあるし、乾いた路面なら安全に走行することも可能だ。しかし、それだけではポルシェとして承認マークを与えることはできない。性能が天候に左右されるタイヤなど、50 歳を超える古いポルシェには酷すぎる──レッ シュアイゼンはそう言い切るのだった。
ヒストリック・ポルシェに適切なタイヤを選ぶためのテストを何度も繰り返し、そのデータに基づいて設定した承認テストの各項目をクリアしていくために費やしたポルシェの労力は並大抵ではない。たとえば 14 種類の新しいタイヤを 10 台のヒストリック・ポルシェに装着して個々の足捌きを検証するケースでは、6 名のスタッフが約 2 週間かけてテストを行う。スタッフはタイヤと車輛を合わせて計 6 トンもの機材を差配し、様々な状況下でテスト走行を行うために行ったタイヤ交換作業は 288 回にも及ぶ。もちろん、どのタイヤも性能的には申し分ないし、濡れた路面でコースから外れるようなことはない。だからこそ、承認するか否かの討論は長時間におよぶのだ。
なぜこのように大がかりなテストを行う必要があるのだろうか。背景には、これまで製造されてきたヒストリック・ポルシェの実に約 70 %が今日でも公道を走り続けているという事実が存在する。だからこそ、ポルシェは積極的にヒストリック・モデルのメンテナンスに力を入れているのだ。
この独自のタイヤ・テストの結果に基づき、ポルシェ・クラシックでは 1949 年製から 2005 年製までのモデルについて、現在では 184 種類のサマータイヤ、そして 126 種類のウィンタータイヤを推奨している。ちなみにポルシェ承認タイヤのリストはテスト結果を基に約 2 年のサイクルでアップデートされており、最新のリストは、ポルシェ・クラッシクのウェブサイト www.porsche.com/classic からダウンロードが可能だ。
“ N0 ”、“ N1 ”、“ N2 ” といったように、タイヤのサイドウォールに記された “ N ” と数字を組み合わせた刻印がポルシェのお墨付きである。この “ N ” という文字、言うならばポルシェによる品質保証の証のようなもので、ポルシェが提示した基準に応じて主要タイヤメーカーが過去何十年にもわたり高性能タイヤを独自開発し、基準をクリアしたタイヤだけが冠することのできる称号なのだ。たとえば、1970 年代に製造された 911 カレラに 195 / 65 R15 サイズのタイヤが装着され、そこに “ N0 ” が刻印されていたとする。そして新世代モデルの登場により、同じタイヤメーカーで製造された同じタイプが新世代モデル用のタイヤとして継続生産され、ポルシェより再び承認を受けた場合、このタイヤには次の数字 “ N1 ” が与えられるといった具合である。
タイヤは長い期間放置するとフランスパンのようにかちかちに硬くなる。タイヤの開発過程のおいてはグリップやハンドリング、静粛性だけではなく、経年劣化も大きなテーマであり、現行のテストではこの項目も重要視されている。特にヒストリック・モデルの領域に入る車輛は、歴史的価値が高くなるにつれ、実際に路上で走らせる機会は減っていき、車庫の肥やしと化すケースが少なくない。そうなると必然的にタイヤの硬化現象は避けられなくなる。同じタイヤを長年装着したまま、溝の深さやタイヤ圧を点検して満足していてはいけない。タイヤは時間の経過と共に硬化を進め、ゴムは脆くなりグリップ力は低下していく。5 年前に製造されたタイヤなら、走行不可能とはならないまでも、新品当時のようなしなやかさは期待できないだろう。
タイヤの製造年数を確認するには、サイドウォールに刻印されている DOT と記された数字の最後の 4 桁を見ればいい。何年の第何週に製造されたかが一目瞭然だ。たとえば「DOT 1302」なら 2002 年の第 13 週に製造されたタイヤということになる。もし今現在、“ 1302 ” の数字が刻印されたタイヤがあれば、それこそ化石のようなものだが······
古く硬化したタイヤがドライビングにどのような影響を与えるかを知るため、今回、2002 年製のタイヤを装着してテスト走行してみた。果たして、走行安定性は損なわれ、濡れた路面では予想外のスライドを連発。蛇行運転を繰り返した後、タイヤのエキスパートであるレッシュアイゼンは、この 12 年もののタイヤに “ハイリスク” という判断を下した。「古いタイヤは特に濡れた路面でのグリップ力が非常に低いため、制動力も弱く、特に ABS が装備されていない車輛では走行中に前輪がロックするリスクがあります。その上、コーナーでアンダーステアが出たと思ったら、突然グリップを取り戻してリアが振り出してしまう、ポルシェとしてあり得ない状況が発生してしまうのです。たとえば車輛がタイプ 930 だったなら、濡れた路面ではステアリングをコントロールするだけで精一杯。プロの腕が必要になってきます。高速でクリアなラインをトレースすることは極めて難しい······いや不可能かもしれません」。 彼が言うように、オーバーステアへの急な移行は特に危険だ。専門家はこの現象を “ テールスピン ” と呼び、多くのドライバーはこのような状況に対処しきれないと言う。
一方で、2002 年製とは全く正反対のテスト結果を出したのは 1963 年製ポルシェ 356 用の新型タイヤ( 185 / 70 x 15 )である。「最もスリムな 5.0 J x 15 ホイールを装着した 356 の足捌きは見事です。グリップには安定感があり、バランスも抜群。アンダーステアやオーバーステアへの変移は極めて少なく、急にグリップを失うこともありません。全体的に俊敏性も高く、これならスピー ディーかつ精確で安定した走りを楽しむことができるでしょう。安全性も高いので、弱点として挙げるべく項目は特にありません」
熟練したポルシェ職人の手によってきっちりメンテナンスされ、 製造後 52 年の歳月を経た今、ポルシェ・ミュージアムに保管されている 356 B スーパー 90 は、製造当時よりもバランスの取れた卓越した走りを見せる。その味わいは、長い年月を重ね味わいを深めた極上ワインに通ずるものがある。
なにも考えずに好みのタイヤを装着したヒストリックカーでスピードを出していたら制御不能に陥った······とは、よく聞く話だ。しかし、心配は無用。新開発のタイヤを実際に古いモデルのホイールに装着してテストをしない限り、ポルシェは決して認証を付与しない。
数多くの試練を乗り越え、ポルシェが定めた合格点をクリアした者にだけ与えられる “ N ” のマーク。サイドウォールにこの文字が刻まれているタイヤは実に 300 種類以上にのぼり、モデルによってはホイールサイズに応じて 5 種類から 7 種類のタイヤが用意される。確固たる裏付けがあり、然るべき選択肢が確保されていれば、古いモデルとてタイヤ選びに頭を悩ませることはないだろう。
文 Michl Koch
写真 Bettina Keidel, Uli Jooss
タイヤの正しいお手入れ
劣化防止:高級ワインのように大切に保管
タイヤの経年劣化は避けられないとは言え、劣化の進行を遅らせることはできる。なによりも直射日光を避けた温度の低い場所に保管することが第一。次のドライブのためにタイヤを地下室に保管しておき、ガレージ内の車輛には使用不可能なタイヤを装着しておくのもひとつの手だ。最寄りのポルシェセンターでタイヤ交換サービスを受けることもできる。
タイヤに溝がある限り、古タイヤを廃棄する必要はない。ポルシェ・スポーツ・ドライビング・スクール( www.porsche.com / sportdrivingschool )でのトレーニングでは、ドライバーに個々の車輛それぞれに最適なケア方法が伝授される。たとえば、長期間車輛を車庫に保管する場合、いかにしてタイヤ空気圧が抜けるのを防ぐかで劣化の進行も大幅に違ってくる。ちなみにタイヤの空気圧は最大で 4.5 bar とされている。タイヤが路面に接地している部分が接地したまま変形するフラットスポットを防止するために、4 台の樹脂製のスロープに均等に荷重をかけて保管する方法もある。こうすることでタイヤの劣化が防げるのだ。