Porsche - スイッチボード

スイッチボード

レースの世界では、今やステアリングは舵を取るための道具ではない。複雑極まるポルシェ LMP1レーシング 919 ハイブリッドを制御するのは、ステアリングホイールに搭載された多機能なコントロールセンターだ。計 24 個のスイッチに与えられた機能を解説しよう。

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① オーバーテイク用ブースト: 圧倒的な駆動力を求める場合は、このボタンを押せばよい。魔法の呪文は “ブースト”。ステアリングホイール左上の赤いボタンを押すと、水冷リチウムイオンバッテリーから電気エネルギーが引き出される。パワートレインは瞬時に四輪駆動へと切り替わり、ドライバーをシートに押しつけるほどの加速力を発揮する。追い越し時や接戦からの脱出、そしてストレートエンドでのラストスパートに有効だが、周回ごとにドライバーが使用できる(ブーストとして供給される)エネルギーは制限されているので、配分には十分注意しなければいけない。一回のブーストでどれだけのパワーがアドオンされるかは企業秘密。ちなみにブーストアップ用の電気は、ブレーキング時にフロントアクスルから発生するエネルギーと、2 リッター 4 気筒ターボ エンジンの排出ガスから引き出すエネルギーを再利用している。

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② ブレーキバランスのプリセレクト: 制動力を大まかに設定する場合は② に、フロント/リア・アクスル間で微調整したい場合は BR-と BR+ にロータリースイッチを回す。フロント / リア・アクスルにおける制動力の配分はおよそ 50 / 50 とされているが、路面状況や天候、使用燃料、タイヤの状態によって最適値が異なり例えばコーナー進入時の減速で前輪がロックした場合、制動力をリア寄りに配分しなければならない。ドライバーによってはコーナリング時だけ制動力の配分を変更するケースもあるという。マーク・リープ曰く、「僕の場合はイニシャルでリア寄りに制動力を配分しておいて、それからさらに少しずつリアの方に配分量を増やしていく感じです。こうすることで理想的なブレーキングと精確なハンドリングが実現します」。高速からのハードなブレーキングではリア・アクスルにより多くの制動力が配分されなければならない、というのが定石だ。

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③  トラクションコントロール / リア(+): 加速時に後輪が空転してリアが流れ過ぎてしまう時に活躍するのが③ のボタン。“ TR + ” とは “ トラクションコントロール / リア ” を示す。リアのトラクションを調節するこのボタンは、電動システムを早い段階で作動させ、リア・アクスルにかかるエンジンからの駆動力を低減して空転状態を解消する。トラクションコントロールの作動が早すぎる、または強すぎる場合は、ステアリング左上にあるマイナスボタンを使ってフロント / リア・アクスルを個別に調節する。さらに電動ドライビングアシスト機能を使えば、タイヤの偏摩耗を最低限に抑えることができる。タイヤの摩耗が進んでいくにつれ、TR + と TF + ボタン( F = フロント)はより頻繁に使用される。このボタンを使うことで低下していくタイヤのグリップ力をトラクションで補完し、一定期間、安定したハンドリングが保たれる。とは言え、理想的なハンドリングは十人十色。このボタンでドライビング・スタイルに合ったトラクションを調節するのである。

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④ ピットレーンリミッター: FIA が主催する長距離世界選手権において、ピットレーンの危険度は非常に高い。ピットストップでの作業時間がレース展開に直結するため、メカニックには大きなプレッシャーがかかり、火傷してしまうほどヒートアップした車輛に短時間で揮発性の高い燃料を注入しなければならない。リスクを少しでも減らすため、ピットレーンの速度は 60km/h に制限されている。速度超過の場合は高額の罰金が科せられるし、制限速度を下回ればレースに支障を及ぼす。そこでドライバーはピットロードに進入する直前にステアリング右にある電子制御のピットレーンリミッターのボタンを押し、上限ぎりぎりの速度を保ちながらピットインする。ドライバー交代の準備をしたくても、グローブをした手による操作がもどかしくても、決して周辺の違うボタンを押してはならない。このピットレーンリミッターは一度作動すると、エンジン停止中も機能し、手動で解除されるまで継続する。ピットストップが終わって次のドライバーが再びこのボタンを押した瞬間、レースス ピードに復帰するのである。

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⑤ ハイブリッド・プログラムの設定:  “ Strat ”と記されたロータリースイッチで燃焼エンジンの稼働状況を制御する。つまり、電気エネルギーを引き出すブーストボタンの兄貴分のような存在だ。ル・マンでは周回ごとに供給される電気エネルギーの量が制限されているため、最大限のエネルギーを引き出しながら、それを超えないように調整しなければならない。ラップ 1 周が 13.6 km のル・マン 24 時間レースにおいて、ポルシェ 919 ハイブリッドが両エネルギー回生システムから引き出せる電気エネルギーは最大 6 メガジュール。そしてエンジン由来のエネルギーは 139.5 メガジュール。つまり燃料にして 4.8 リッターの消費しか許されない。ウェットコンディションでもエネルギー効率を最大限に活かすには、然るべき制御プログラムが必要だ。そこで重要となるのがハイブリッド・プログラム。ここ一番の勝負時に最高出力を発揮することも可能だ。

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Heike Hientzsch
イラスト Project-2