ル・マンへの道
世界耐久選手権の新たなシーズンが始まった。2015 年シーズンに照準を合わせて、ポルシェは 919 ハイブリッドをさらに軽量かつパワフルに仕立て直し、スピードと信頼性を大きく向上させた。シーズン直前にバーレーンで行われたシェイクダウン・テストの模様をお届けしよう。
ポルシェとル・マン。それはまさに恋人同士のような関係にも思える。ル・マン 24 時間レースにかける想いを語る男たちの目は、魔法にかかったような輝きを帯び、そこから想像を絶する思い入れが伝わってくる。ありとあらゆる葛藤を乗り越えてきたからこその情熱。体験した者でなければ決して分からないのが、ル・マンの醍醐味なのだろう。
かつてフランク・シナトラとその娘ナンシーが歌っていた『SOMETHIN’ STUPID』(邦題:『恋のひとこと』)の一節「And then I go and spoil it all, by saying something stupid like, I love you」という歌詞は、ポルシェとル・マンの関係を象徴している。しかし、男と女の恋愛に数え切れないほどのセオリーが存在するのに対し、ル・マンというテーマに対するセオリーは単純明快だ。レースという舞台では、ただひとつの目標に向かって皆が一致団結しなければならないのである。その技術指揮を執るのが、昨年からル・マンのトップクラスに復活したポルシェのプロトタイプ、919 ハイブリッドを担当するテクニカルディレクター、アレクサンダー・ヒッツィンガーだ。彼はティームを率いて、今年 6 月 13 日 ~ 14 日に FIA 世界耐久選手権(WEC)の一環として開催されるル・マン 24 時間レースのトップカテゴリーに、クローズドコックピット仕様のプロトタイプで挑む。
シーズン直前のバーレーン。時刻は真夜中。2015 年型のポルシェ 919 ハイブリッドが、勢いよく砂埃を巻き上げながら、すでに数時間にわたってラップを重ねている。「日中は砂の混じった風が吹き荒れますので、明確な走行データを得るのが非常に困難なのです」と語るヒッツィンガーは、「しかし夜になるとコンディションが安定するので、テスト時間を深夜に設定しました」と、ことの経緯を説明する。晴れのル・マン 24 時間レースを舞台に 3 台の 919 ハイブリッドを駆る 9 人のワークスドライバーは、すでに新型の感触をつかんでいるようだ。その反応はそろってポジティブ。ヒッツィンガーは、「優れた走行特性を実現することが、私たちの開発目標でした」と振り返る。だがそれは、ロングディスタンス・レースにおいて、必ずしもドライバーの快適性が保障されているという意味ではない。むしろここで大切なのは、極力タイヤの磨耗を抑え、潜在的なトラブルを最小限に抑えることにある。新型ポルシェ 919 ハイブリッドのシャシー(特にリアセクション)は剛性を確保しながら軽量化が図られ、アンダーステアを抑えることに成功。2 年目のシーズンを迎える 919 は、初代モデルに比べて効率性、剛性、車輌重量、そして耐久性において改善が見られるという。LMP1 プロジェクトについて、ポルシェ研究開発担当役員を務めるヴォルフガング・ハッツは次のように述べている。「今シーズン、私たちはレースに勝てるマシーンを期待しています。レース結果と共に重要なのが、市販モデルにフィードバック可能な未来型エンジニアリングの構築です。私たちの駆動コンセプトは、昨シーズン、すでにテスト済みですから、第 2 世代となる新型 919 はまったくの新開発ではなく、正確には進化型と言えるでしょう」。“ル・マン・プロトタイプ・クラス 1” を表す LMP1 カテゴリーに参戦するマシーンには、駆動システムのハイブリッド化が求められ、絶対的な速さと共にエネルギー効率が重要となる。
新型 919 ハイブリッドと共に進化を遂げたは、ヒッツィンガーと彼のティームも同じだ。彼らは、従来モデルのネジを締め直しただけで “改良型” と謳っているわけではない。基本コンセプトは昨シーズン同様であるものの、彼らはコンポーネント全ての機能状況を逐一点検した。果たして、ダウンサイジングされたガソリン・ターボエンジンと 2 種類のエネルギー回生システムを組み合わせた 919 ハイブリッドの最高出力は、1000PS に達しているという。
いっそうの軽量化と剛性の向上を目指して開発された 2 リッター 4 気筒ターボエンジンは、効率性においても進化を遂げている。バンク角 90° の V 型エンジンのマウント構造も、ジオメトリーの最適化により剛性を高め、高出力と高効率のエアロダイナミクス性能を実現するために、従来のセンターテールパイプに代わってツインテールパイプが採用されている。500PS を超えるパワーでリアアクスルを駆動する燃料エンジンには、これまた軽量化と高剛性化を推し進めた油圧制御式 7 速シーケンシャル・トランスミッションが組み合わされる。ヒッツィンガーは「エンジンの改良と平行してシフトタイムの短縮化も図りました」と説明を加える。
高出力化と軽量化の両立に成功したハイブリッドシステムは、2 種類のエネルギー回生システムを備える。ひとつ目のエネルギー回生システムでは、制動時にフロントアクスルに発生する運動エネルギーが電気エネルギーに変換され、二つ目のシステムでは、排気ガスを利用してターボチャージャーと並行してタービンを駆動し、そこで発生した電気エネルギーを回生ブレーキ・エネルギーと同様、リチウムイオン・バッテリーにチャージする仕組みだ。ドライバーがさらなるパワーを必要とした場合、蓄えられたエネルギーを最大 400PS の追加出力としてブーストさせることが可能で、この時、電気モーターがフロントアクスルを駆動し、919 は 4WD へと変身を遂げる。
駆動コンセプト同様、WEC レギュレーションにおいては、蓄電媒体もエンジニアに選択の自由が許されている。「ハイブリッドシステムに最適な蓄電媒体を選ぶのですが、電力密度とエネルギー密度のバランスを常に考慮しなければなりません」とヒッツィンガーは説明する。電力密度が高いほどエネルギーの出し入れが迅速になり、エネルギー密度が高いほど大容量のエネルギーをチャージできるのだが、同時に両方の最大値を求めることは物理的に不可能。このジレンマについて、ヒッツィンガーは次のように述べる。「私たちが使用しているリチウムイオン・バッテリーの電力密度は、スーパーコンデンサーの水準に匹敵し、エネルギー密度に関してはスーパーコンデンサーを凌ぎます。結果、支障が出ない程度のシステム重量の範囲内で回生したパワーの迅速な出し入れが可能となり、それでいて比較的高めのキャパシティーが確保されているのです」
ドライバーに委ねられている電気エネルギーの使いどころだが、たとえば 1 対 1 の勝負でライバルに予備エネルギーがあるにもかかわらず、こちらにはもう余力が残されていない場合、次のストレートで追い越されるのは目に見えている。選手権のレギュレーションにおいては、ドライバーが利用する電気エネルギーが多ければ多いほど、燃料の使用は制限される。かくして、革新的なハイブリッド技術の開発を助長すると同時に、異なるコンセプトの間で公平性を保っているわけだ。今年初めて最大メガジュールクラスのホモロゲーションを取得したポルシェ 919 ハイブリッドは、全長 13.6 キロメールのル・マンサーキットで、1 周 8 メガジュールまでブーストをかけることが容認されている。しかしその代償として、使用できるガソリン燃料はわずか 4.76 リッター。レースの 7 割をフルスロットルでアタックし、ロングストレートでは最高速度が 335km/h に達する 1000PS 級のレーシングマシーンとしては革命的な効率性と言えるだろう。プロトタイプの燃料消費量は 2013 年型と比較すると 30 パーセントも削減されているにも関わらず、最高速度は逆に向上している。車輛の軽量化も効いているのだろう。919 ハイブリッドの骨格となるサンドイッチ構造のカーボンモノコックボディは、さらなる軽量&高剛性化を図るべく、これまでの 2 ピース式から 1 ピース式に改められた。テクニカルディレクターを務めるヒッツィンガーも、「ボディ構造の改善が功を奏した形となりました」と自信を窺わせる。もちろん、安全性に関わる妥協は一切許されない。2014 年の WEC シーズン最終戦、後に初優勝を果たすこととなる仲間のワークスマシーンを追っていたマーク・ウェバーが他車との接触によりサイドウォールに激突したにもかかわらず、ウェバーがほぼ無傷だった事実がそれを証明している。
効率性もさることながら、より精度が高くなったエアロダイナミクス性能においては、風やヨー角、ピッチ角およびロール角に対する影響がこれまで以上に抑えられている。車輌周りの空気の流れは、これらの障害要因により変化し、不安定な走行の要因となる。エアロダイナミクスは基本的にふたつの前提を考慮しなければならない。ひとつはル・マンのロングストレートでは、車輌にかかるダウンフォースを最小限に抑えなければならないということ。そしてもうひとつは、闘う舞台が変れば逆にそれが必要とされるということだ。
新開発のツインテールパイプを備える 919 ハイブリッドのサウンドは、これまで以上に強烈だ。ニコ・ヒュルケンベルグがストレートで 7 速にシフトチェンジしてマシーンをブーストさせると、メインスタンドに迫力のサウンドが轟く。彼のマシーンから立ち上がる砂埃を、レーシングドライバーでありエンジニアでもあるティームメートのマルク・リープが見つめている。ニューマシーンでル・マンのスタートラインにつく時、どのような気分になるのだろうか。リープは首を左右に振り、笑みを浮かべながらこう答えた。「それは言葉で説明するものではなく、感じるものなのです」
文 Heike Hientzsch
写真 Jürgen Tap
9 人のワークスドライバー
高度な任務が課せられた 3 組のドライバートリオ
ワークスドライバーの中で、ティモ・ベルンハルト(ドイツ)、ブレンドン・ハートレイ(ニュージーランド)、マーク・ウェバー(オーストラリア)のトリオにはスタートナンバー #17 が与えられる。またスタートナンバー #18 には、ロマン・デュマ(フランス)、ニール・ジャニ(スイス)、マルク・リープ(ドイツ)の 3 人が、そしてスパとル・マンではアール・バンバー(ニュージーランド)、ニコ・ヒュルケンベルグ(ドイツ)、ニック・タンディ(イギリス)がスタートナンバー #19 が刻まれた 3 台目のプロトタイプを操る。
フリッツ・エンツィンガー、9 人のワークスドライバーに絶大な信頼を寄せる LMP1 プロジェクトディレクター(写真):「もちろん、ドライバーが速く、賢明であるということは、ティームとしての前提条件です。しかし WEC、特にル・マン 24 時間レースでは、長時間にわたる集中力の維持と持久力が必要条件となります。その他に求められるのは、適応能力とティームワークです。サーキットが混雑した状態になると周回遅れのマシーンも走行しているので、十分な注意力も必要です。ル・マン 24 時間レースは、まさにチームスポーツと言えるでしょう」