Porsche - レース戦略

レース戦略

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アミエル・リンドゼイ、メカニックチーフ
完璧なピットワークを目指してクルーを統括するアミエル・リンドゼイ。レースではピットに設けられた “スペース・ステーション” の先頭に立ち、その隣ではアンドレアス・ザイドルとフリッツ・エンツィンガーが共にレース展開を見守る。3 人とも F1 の舞台裏を熟知した男たちだ。

マスタープラン。期待を一身に背負ったクルーたちが各自の持ち場に就く。ピットから発進していくのは、6 月 18~19 日に 3 度目のル・マン 24 時間レースに挑む新型 919 ハイブリッドだ。2015 年シーズン、強力なライバルたちを見事退けたポルシェの LMP1 カーが、長距離レースの歴史にさらなる伝説を刻もうとしている。

戦戦略家としての任務を全うするティーム監督、アンドレアス・ザイドルは、ドイツ、バイエルン州生まれの 40 歳。何よりも “将来の成功を見据えた計画” を重視する彼は、十分な準備が整わないまま現出する結果には決して納得せず、そもそもそのような状況に陥らないために周到にレースの準備を進める。ティームを率いる彼のことを、ポルシェの LMP1 プロジェクト責任者であるフリッツ・エンツィンガーはこう評する。「ザイドルはまるでチェスプレーヤーです。ティームがいかなる状況でも迅速に反応できるような戦略を、ストラテジストとしていくつも用意しています」。

ザイドルはレースに向け、エンジニアのシュテフェ ン・ミタス、パスカル・ツアリンデン、カイル・ウィルソン=クラーク、そしてジェロミー・ムーアと共に念入りな準備を進める。長距離レースでは、時代に関係なく、常に不測の事態が起こりうるから、準備すべきことは無限にある。“あの時こうしていればよかった”  というケースは、これまで何度となくあった。レースが始まれば、ティームはその展開に応じて柔軟に反応し、状況に応じた最善の決断が求められる。

レース戦略を組み立てていく上で最初に考慮すべき点は、1 スティントあたりの走行距離である。FIA 世界耐久選手権(WEC)では、燃料および電気エネルギーの消費上限がレギュレーションで規定されているため、燃料補給のタイミングは各マシーンの性能に応じて必然的に決まってくる。ティームの “ストラテジスト” たちは、自ら走らせるマシーンに課せられる制約はもちろんのこと、ライバルのレース参加条件もしっかり把握している。ちなみに、ル・マン 24 時間レースが行われる全長 13.6km のサルテ・サーキットにおいて、今シーズンの 919 ハイブリッドは “62.5 リットルの燃料補給で 14.1 周できる” 計算になっている。動力システムが純電気駆動に陥る前に燃料を補給しなければならないが、ピット・インのタイミングが早すぎてもいけない。ティームが目指すのは、マシーンがフィニッシュに向かって最高の加速能力を維持しながら燃料の最後の一滴を使い切ること。そうすれば時間を節約でき、タンクの燃料が少なければ車輌重量が軽くなってスピードも向上する。

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フリッツ・エンツィンガー、LMP1 プロジェクト責任者
これまでポルシェ・モータースポーツを率いてきたフリッツ・エンツィンガー。2011 年に長距離耐久レースへの回帰を表明し、ベストメンバーを結集した彼は、予想を上回るスピードで結果を提示して見せた。復帰 2 年目となった 2015 年シーズンには伝統のル・マン 24 時間を舞台にポルシェ通算 17 度目の総合優勝を果たし、見事マニュファクチュアラーズ・タイトルとドライバーズ・タイトルを獲得した。

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序盤

どのレースでも必ず行われる燃料補給では、都度、満タンより幾分少ないガソリンがタンクへ充填される。ここで求められるのは、レースごとに異なる “最良補給タイミング” の判断である。例えば、バーレーンのように天候が安定し、ランオフ・エリアが十分確保されているが故にイエローフラッグがほとんど出現しない理想的なコンディション。ここではトラブルが発生しない限り “スプラッシュ&ダッシュ” と呼ばれる燃料補給のみを目的としたピット・イン作業でフィニッシュできる。

それに反して、午前中に雨が降りやすいル・マン・サーキットでは、燃料補給だけでなく、レインタイヤに交換するケースも想定しておかなければならない。タイヤ交換は前もって厳密にはプランできず、状況に応じて判断していく。レース戦略は、常に “コンマ 1 秒単位” で上書きされていくのである。

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シュテフェン・ミタス、レースエンジニア・マネージャーとパスカル・ツアリンデン(下)、戦略エンジニア
スタッフと打ち合わせをしながら作戦をシミュレートしていくレース・エンジニアのトップ、シュテフェン・ミタス。レース中はピットウォールから戦いの行方を冷静に判断する。一方、戦略エンジニアであるパスカル・ツアリンデンは、 “バトル・ルーム” と呼ばれる奥の部屋でシミュレーション・ソフトを駆使しながらレースをサポートする。

計画に変更が起こるたびに、シミュレーション・ソフトに新たなパラメータを入力していくのが、戦略エンジニアのツアリンデンだ。彼が取り扱うデータはティームが走らせるマシーンのものがメインだが、ライバルの動向や、天気予報といった外部要因にも十分注意を払っている。そして近況がアップデートされたレース・データは、直ちに監督のザイドルとレース・エンジニアを率いるミタスに送信される。それに基づいてピット・インのタイミングや燃料残量、タイヤ交換ならびにドライバー交代時期がリ・プランされていくのだ。

マシーンが走行を重ねるにつれ、レース・ストラテジストたちに送られてくるタイヤ関連のパラメータは複雑さを極めていく。タイヤ交換の判断の鍵を握るのは、言うまでもなくタイヤの残存ライフで、サプライヤーであるミシュランのスタッフと協議が行われる。彼らが判断材料とするのは、単なるコンパウンドの磨耗状態ではなく、性能曲線だ。タイヤ表面の磨耗が一定レベルを超えるとラップタイムが落ちてくる。この性能低下の時期とタイヤ交換によるタイムロスの兼ね合いを上手く計算しなければならないのである。タイヤは常に同じように磨り減っていくわけではない。タイヤの摩耗と共に(燃料消費により)車輌重量が軽くなっていくので、スタート直後は激しかった磨耗の度合いが、後半は和らいでいくケースもある。しかも、その程度は路面状況によって変わってくる。

タイヤの磨耗が及ぼす影響について、アンドレアス・ザイドルが説明してくれる。「参考値ですが、ル・マン 1 周 13.6km 当たりでも “新品のタイヤ” と “性能が極端に落ちたタイヤ” を装着したマシーンのラップタイム差は 1.6 秒もあるのですよ」。要するに、ラップタイムとタイヤの摩耗、燃料消費のペースをどうバランスさせるかということか。

アンドレアスはこう述べる。「我々は、2015 年のル・マンでタイヤ 1 セット当たり 54 ラップという自己最高走行距離を打ち立てました。つまり、タイヤ交換をせず、続けざまに 3 度の燃料補給をしたということです」。そして燃料と車輌重量の関係について、ザイドルが補足する。「燃料満タン時とエンプティ時の車輌重量の差は 44kg です。この差はル・マン 1 周およそ 2 秒の差となって跳ね返ってきます」。

中盤

ル・マンで勝負を左右するのは、24 時間で最も長い距離を走る性能──つまり “臨界スピード”──と “最小限のピットインタイム” なのだ。ポルシェが 2015 年のル・マンに送り込んだ 3 台のプロトタイプは、それぞれ合計 30 回の燃料補給を行った。ちなみに停車と発車を含めた燃料補給時間の最短は 51.3 秒。ドライバー交代とタイヤ交換を含む最短ピット・イン時間は 1 分 13 秒 09 であった。ドライバーはタイヤ交換の必要がない限り、ひとりでずっと走り続けなければならない。ドライバー交代とは、理論的にはタイムロスでしかないのである。ではドライバーはラップタイムを落とすことなく一体どれほどの距離をひとりで走れるのだろうか?「ドライバー自身は夜間のル・マンを基本的に 54 周、つまり 4 スティントまでひとりで走りきる能力を想定しています。彼らはプロのドライバーですからね。我々ピット・サイドでもドライバーの走行時間とラップタイムの推移については常に注意を払っていますよ」と、ザイドルは言う。

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耐久レース選手権のレギュレーションでは、ドライバーひとり当たりの最短および最長走行時間が規定されている。6 時間レースなら最短 40 分、最長は 4 時間半。ル・マン 24 時間レースでは、各パイロットが少なくとも合計 6 時間はステアリング・ホイールを握らなければならないが、4 時間を越える連続操縦は容認されていない。そしてひとり当たりの走行時間は最長 14 時間と決められている。通常なら全く問題のないルールだが、仮にドライバーのひとりが腹痛に苦しんでいる場合──まさに典型的なシナリオでもある──は、このルールが効いてくる。ザイドルが対策を説明する。「病気のドライバーになるべく安静にしていられる時間を与え、なおかつレース終了までティーム内で柔軟な対応ができるような手配を心がけています」。そしてティーム監督が中心となりレース・エンジニア、ドライバーを交えて誰がいつマシーンを操縦するか話し合う。「特にスタート直後は神経質になりやすいので、ドライバーの誰もがこうしたイレギュラーの状況に的確に対処できなければなりません。彼らには平常心を保つことが求められるのです。夜間も長期戦になりますし、誰がフィニッシュラインを通過するかという話も当然出てきます。ですから私たちは、ドライバー各人に平等で最適な役割を与えることを念頭に置いています。ティーム内の雰囲気もパフォーマンスを左右しますからね」。

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カイル・ウィルソン=クラーク と ジェロミー・ムーア(下)レース・エンジニア
レース中、ワークス・ドライバーを統括するカイル・ウィルソン=クラークとジェロミー・ムーア。彼らが持つ唯一の通信手段は無線だ。“ティモ・ベルンハルト”、“ブレンドン・ハートレイ”、“マーク・ウェバー” 組を担当するウィルソン・クラーク。ムーアは “ロマン・デュマ”、“ニール・ジャニ”、“マルク・リープ” 組を支える。

成功例、失敗例ともに様々な歴史を人々の記憶に刻み込んできた長距離レース。今日ではシミュレーション・ソフトの活用により、“戦略を立てる” ための判断材料のデータ精度が格段に向上している。データを参照することにより、レース展開を先読みできたり、トラブル解消の大切なヒントを掴めたりするのである。

例えば、イエローフラッグが表示された場合にピット・インさせるか否かの判断さえ、シミュレートによってリスクが低い方を導き出すことができる。他にも修理に必要とされるピット・イン時間など戦略上重要なデータがソフトによって算出されるのだ。

マシーンがライバルと接触した場合には、テレメトリーが即座にタイヤ圧とエアロダイナミクス性能の関連データを検査し、結果は無線を通じてドライバーにフィードバックされる。しかし時速 300km で目の前を走り抜けるマシーンの実際の破損状態を確認する術は、ソフトにもレース・エンジニアにも当然ながらない。それを検証するのが、バトル・ルームに待機するツアリンデンの任務だ。「接触動画のスローモーションを確認することによってマシーンがピットに戻る必要があるのかどうか、ある程度目視判断できる」と彼は言う。

マシーン・トラブルで緊急のピット・インを余儀なくされる場合でも、ピットクルーは常に万端の準備を整えている。彼らの働きには目を見張るものがある。2015 年シーズンのル・マン 24 時間レースにおける停車/発車を含めた 3 台の 919 ハイブリッドに対する合計サービス・タイムは、出場ティーム中最短の 95 分 36 秒であった。これに続いたライバル・ティームのピットワークは 130 分だというから、その差は歴然。どうしてこれほどの差が生まれたのだろう?

メカニックを率いるアミエル・リンドゼイはその功労者である。寡黙なニュージーランド人の彼は、ティームからの終わりのない要求に対して「練習あるのみです」と答える。ピットワークの手順だけを見ても、それはもはや科学のレベルに達しつつある。作業するメカニックの数に制限のない F1 と異なり、WEC では限られた人数で任務をこなさなければならないのだ。厳しい規定が課される 2016 年の選手権レギュレーション(11 ページにおよぶ)でもピット作業に関する制限は厳格だ。燃料補給は 2 人のメカニックのみ。その間、マシーンのタイヤは路面に接していなければならず、補給が終わり次第タイヤ交換を始めることができる。ここでもクルーの数が同時に 4 人を越えてはならず、使用できるインパクト・レンチはひとつだけと限られている。

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アンドレアス・ザイドル、ティーム監督
エンジニア兼監督としてティームを率いるアンドレアス・ザイドル。ポルシェのワークス・ドライバーにとって “ナショナル・コーチ” 的な存在である。ビジネス面においてはマネージャー兼代表としてプロジェクトを牽引し、レース戦略面ではエンジニアとして重要な決定を下すのだ。

終盤

リンドゼイはレースに応じてピットワークでの作業項目やフローを入念に組織立て、各クルーの配置を考えていく。手順書が仕上がると、次にワークショップでのドライ・トレーニングが始まる。シーズン中のレース本番では、ティーム全体で 250 回を越えるピット・インが予定され、それ以外にも個別トレーニングや演習がクルーを待ち構えている。タイヤとホイールを合わせた重量は 19.9kg。メカニックたちには力強く俊敏で、過酷な作業とプレッシャーに耐えられる肉体が要求される。

男たちが期待に目を輝かせながらそれぞれのポジションにつく光景は勇壮だ。それを見つめ、励まされながら、ティーム監督のザイドルは選手権タイトルをかけた次の一手を模索するのである。

Heike Hientzsch
写真 Markus Bolsinger

LMP1 データ一覧

WEC

世界耐久選手権(WEC)では、様々なクラスに分かれたマシーンが同時にレースを闘う。その中で、実質的に総合優勝のチャンスを握るのがポルシェ 919 ハイブリッドをはじめとする LMP1 マシーン(ル・マンプロトタイプ・クラス 1)だ。その下のカテゴリーに LMP2 が置かれ、さらにその下の GT1 クラスは、プロとアマチュアが参加する LMGTE Pro そし て LMGTE Am に分かれる

参加マシーン

LMP クラスのマシーンは市販モデルではないプロトタイプが一般的。それぞれのマシーンは得意技術を活かしつつ技術規定に従って設計され、LMP2 クラスではルーフのない車輌も認められている。GT クラスでは公道走行許可の下りた市販車がベースとなるが、レギュレーションでは様々な改良が認められている

走行時間

ル・マンの走行時間は 24 時間。それ以外の 8 つの選手権は 6 時間に設定されている。優勝の栄冠はその時間内に最長距離(つまり最大ラップ数)を記録したマシーン に贈られる

予選

LMP1 および LMP2 クラスが共同で行う予選時間は 20 分。予選には常に 2 人のドライバーが参加し、それぞれの最高ラップタイムを加え 2 で割った数字が予選タイムとなる。各ドライバーは新しいタイヤ・セットを使用できることになっている

エンジン

経費削減の観点から、シーズン中に手配できるエンジンの数はマシー ン 1 台につき 5 基に制限されている。また、サーキットに合わせた特定仕様のエンジン開発も禁止さ れている

セーフティ

レース中に事故が発生した場合、またはそれ以外の理由でサーキットに支障が生じた場合、WEC ではセーフテーカーに代わる “フルコース・イエロー” と呼ばれる規則が発令される。ドライバーはレース主催者の指示に従い走行速度を時速 80km まで落とし、前方を走るマシーンと一定の間隔を確保しなければならない

タイヤ

6 時間レースでは予選/本戦を通じて車輌 1 台当たり 24 本のドライ・タイヤの使用が認められているが、 バーレーンと上海では例外として 32 本まで許される。レイン・タイヤおよびインターミディエイト・タ イヤに対しては制限がない

ポイント・システム

F1 と同様、10 位までが入賞扱いとなる。ポイントは 1 位から順に 25 - 18 - 15 - 12 - 10 - 8 - 6 - 4 - 2 - 1 と規定(例外として、ル・マンではポイントが倍増)。また、各レースにおいてポールポジションを獲得した場合は追加ポイントが加算される