ヴァイキングの世界
カルト的なステータスを有する国、アイスランド。サッカーのユーロ 2016 大会における同国代表ティームの活躍は記憶に新しいが、この詩的で色彩豊かな島国にもポルシェを愛でる好事家たちがいる。彼らと共に北の大地を走った。親和性を帯びた荒々しい自然と情熱的な国民が独自のコスモスを形成している ヨーロッパの孤島、アイスランド。今回、ポルシェクラブ・アイスランドが アレンジしてくれたロードトリップの最終目的地は、首都レイキャヴィークだ。
今回のアイスランド・ツアーの発起人、ポルシェクラブ・アイスランドの代表を務めるペートゥル・レンツは、アイスランド航空のパイロット。実は彼、ツアーに先んじて旧知の写真家シュテファン・ボグナーを迎えにボーイング 757 に乗り、ミュンヘンまで往復してくれた。しかし、それは小さな序章であって本題ではない。これから始まるロードトリップの主人公は、現地ポルシェクラブの面々だ。
足早に通り過ぎていく雲の隙間から一瞬太陽の光が差し込んだと思えば、不意に雨が降り注ぐ……。我々取材班は荘厳な景色を堪能しながらレイキャヴィー ク近郊ガルザバイルにあるペートゥル・レンツの自宅に到着した。歓待してくれたレンツとポルシェクラブの面々は、この目まぐるしく変化する天気がアイスランドの日常だと説明してくれる。そう、彼の地では本当に数分おきに天候が変わるのだ。カメラをチェッ クするシュテファン・ボグナーは、先ほど見た移りゆく自然の色彩と透明な空気、そして壮大なスケールに感銘を受けているようだ。「ここの天気は 10 分おきに変化するような気がします」と言いながら後ろを振り向き、誰かに相槌を求める。だが、そこに集まったアイスランド人のポルシェクラブ会員たちは一様に肩をすくめて、ボグナーの意見に何と答えていいか戸惑っている様子だ。わざわざお金をかけて遠くへいかなくても、ここでは日常的に島の絶景が拝める。火山さえ噴火していなければ、空気は驚くほど澄み切っている。広大な大地の造形と豊かな色彩が外国人観光客を魅了している事実にアイスランド人が気づいていないわけではない。ただ、この絶景の中で毎日暮らす彼らにとっては、慣れ親しんだ景色を特別視することができないだけなのである。逆にアイスランド人が欧州大陸に渡れば、彼らはきっと違った驚きを感じるはずだ。だがその印象についてことさら多くを語らないのがアイスランド人の気質。だからアイスランド人は物静かだとか、変わり者だとか形容されるのだが、それは一部の外国人が吹聴した表面的な偏見なのかも しれない。
10 万平方キロメートルの国土をもつアイスランドは、イギリスに次いでヨーロッパ第 2 の面積を誇る島国である。夏の間だけ緑色に染まるこの島の気候は冷涼で、摂氏 20 度に届かない夏と穏やかな冬が交互に繰り返される。河川や湖、そして火山が多数分布する国土には約 33 万人が生活しているが、その内の実に 30 万人が生粋のアイスランド人だ。乗用車はこの国の必需品で、国民全体の約 70 パーセントが毎日クルマを利用 している。
ポルシェクラブ・アイスランドの代表はしかし道路ではなく、我々をまず空へ誘い、アイスランドの景色を上空から俯瞰することになった。写真家のボグナーが感嘆の声を上げる傍らで、筆者はこの孤島におけるクルマの重要性について思いを巡らせた。その頃、他のクラブ員たちは地上でドライブ・ツアーの準備を整え、愛車と共に待機してくれていた。ポルシェの熱烈なファンである彼らは通常、雷雨が多発する 6 月から 8 月の間はガレージから愛車を持ち出すことはあまりないとのこと。どうやら今回は例外のようだ。彼らとは逆に、写真家のボグナーは雨や冬のような寒さに期待し心躍ら せている。
ポルシェクラブの副代表を務めるシフフス・ベルクマンは、「歴代のポルシェを所有することは賢い投資です よ」と自らの趣味を正当化するかのような発言をする。その後ろで、会長のレンツが愛車の 911 カレラ 4 (タイプ 964)に乗るよう手招きしている。さあ、ドライブ へ出発だ。
滑りやすいウェットな路面を高速で駆け抜けるレンツは、慣れた様子で 4WD の潜在能力を解き放つ。私はレザーシートに深く腰を沈めて、カーステレオから流れるフランク・シナトラの “ムーン・リヴァー” に聴き入る。ボグナーの眼差しを伺うと、海の中から突如姿を現したかのような山々や、緑深い草原が織りなす景色に夢中になっている様子が分かる。
心地良い風を感じながら
シンクヴァトラルヴェーグルという少々複雑な名前の道を進んで国立公園へ向かう。この道はアイスランドで最も美しいと言われているルートで、天からの太陽光線が湿地帯に反射し、地平線がキラキラと輝いている。堪らなくなったのか、突然レンツがスロットルを全開にした。後続のクラブ会員たちもスリップスト リームに入らんとする勢いで後を追いかけてくる。対向車のない永遠と続くアスファルトをひた走りながら、心地良い風とフロント・スクリーン越しのパノラマを満喫する。緑の大地、ダークグレーの路面、そして顔をくすぐるひんやりと湿った風。我に返ってス ピードメーターを見ると、法定速度の 90km/h にさえ達していない。この数値に違和感を覚える私の心境を察したのか、レンツが笑顔で呟く。「911 はコーナリングを愉しむためのスポーツカーであって、ただスピードを出すために作られたクルマではありませんからね」。私がトボけて「クラブの存在意義はなんでしょうね?」と問うてみると、即座に「それはポルシェ・ スピリットを分かち合うためですよ」との答えが返ってきた。さすが会長、明快だ。
スヴィーズの代わりにスープを味わう
フィヨルドに到着すると、ペートゥル・ハラルドソンが所有する白いマカン S ディーゼルに乗り換える。それからグラーフニンクスヴェーグルを走りはじめると、前方に広がる光景に思わず息を呑む。黒々とした火山の山肌を背景に辛子色の畑が広がり、頭上には鳥の大群が羽ばたき、地平線へと向かう道の両脇をグレーとグリーンの得も言われぬグラデーションが鮮やかに染める。その美しい景色を目の当たりにしたボグナーは、 年代物の 911 カブリオレから身を乗り出して夢中でシャッターを切っている。
一行はアイスランド島南西部のグラーフニンクス ヴェーグルを通りぬけ、ウルフリョゥスヴァトン湖沿いを走る。太陽の光と霧雨が交互に大地へ降り注ぎ、路面にはところどころ水たまりができている。マカンのボディは徐々に汚れ、気温はぐんぐん低下していく。我々は湖畔に建つ小さなレストランを訪れ、体を温めるためにスープを注文する。アイスランドの典型的な伝統料理と言えばニシンのマリネかスヴィーズ(羊の頭を茹でたもの)が相場だが、スー プも欠かせないご馳走だ。
ひと時の休憩を終えると、今回のアイスランド・ツアーの終点である首都レイキャヴィークを目指して再びアスファルトを走りはじめる。このままいけば、きっと夕方には到着するだろう。一方、3 日間のさらなるドライブトリップを計画しているレンツとポルシェクラブの仲間たちは、翌日からアークレイリ、エイイルススタジル、キルキュバイヤルクロイストゥルに宿泊しながらアイスランド島を周回するのだという。最初の目的地は、嵐のように風が吹き付ける北アイスランド。シュテファン・ボグナーにとって写真撮影にはぴったりのロケーションである。ヨーロッパの孤島、アイスランド特有の詩的でパワフルな風景は、さぞやマカン・ディーゼルを引き立てる ことだろう。
ポルシェという点が、島を線で結んでいくのだ。
文 Hrefna Gylfadóttir
写真 Stefan Bogner
ポルシェクラブ・アイスランド
2006 年にペートゥル・レンツによって設立され、現在 80 名以上の会員を抱える世界最北のポルシェクラブ。設立者のレンツは現在もクラブの代表を務めている