不運?むしろ幸運だ!
ポルシェのツッフェンハウゼン工場はいま、歴史的な瞬間を迎えようとしている。Dr. ヴォルフガング・ポルシェ、そしてスタッフ全員が待ち望んだ瞬間だ。たくさんのフラッシュが焚かれる中、累計 100 万台目に当たるグリーンの 911 が完成し、ラインオフした。 待望の 100 万台目の直前に製造されたナンバー 999,999。あと少しでブランドの歴史に名を残すことになったであろうに、何たる不運……。いや、注目を浴びずに済んだことは、考えようによってはむしろ幸運なのかもしれない。
累計 100 万台目に該当する 911 のラインオフ直前、誰もが息を飲んで見守るその瞬間は、待望の映画が始まる直前の観客席の状態に似ている。その歴史的な 一台が現れる直前、歓声が上がることもなく予告映画のように淡々とラインから流れ出てきた 999,999 台目のタルガ 4 GTS。このごく普通の赤いポルシェに感情があるなら、生産ラインの周辺の喧騒と人々のただならぬ興奮を感じ取っていたはずだ。
赤いポルシェがほんのわずかな差でビッグタイトルを取り損ねたのだとしても、悲観する必要はない。宝くじに外れたからといって人生を悲観する必要がないのと同じこと。惜しかったとしても、外れは外れなのである。予定した電車に 1 秒差で乗り遅れても、10 分差で乗り遅れても、“乗り遅れた” という事実には変わりない。
布でピカピカに
ところで読者の皆様は映画『フェリスはある朝突然に』をご存じだろうか。主人公のフェリス・ビューラーは学校をサボる天才で、キャメロンという名の親友がいる。そのキャメロンの父親は(ポルシェには申し訳ないが)最高出力 500 PS を誇るフェラーリ 250 GT カリフォルニア・スパイダーを所有しているのだが、一度も乗ったことがなく、コレクションとしてガラス張りのショールームのような部屋に置いてある。その小奇麗な独房の中で、キャロンの父親は毎日、布で 250 GT を磨いている。かくも “過保護” に手入れされてきたスーパーカーをフェリスとキャメロンが外へ持ち出し、本来在るべき場所に解き放つのだ。劇中、250 GT は最終的に元の独房に戻ることなく、大破してしまう。しかしそうなる前に外の世界で思う存分羽を伸ばし、たとえ短い間とはいえ思い切り道路を駆け抜けることができた。ピカピカに磨かれた置物のようなクルマが、1 台のクルマとして本来の姿を取り戻せたのだから、後悔はなかったはずだ。
累計 100 万台を高らかに祝うファンファーレの代わりに “当選番号” 一番違いの赤いタルガ 4 GTS が手にしたもの。それは自由だ。記念すべき 100 万台目の 911 はミュージアムに展示され、コレクターズアイテムとなり、いつの日かオークションにかけられる。その窮屈な生涯を想えば、999,999 台目の 911 のなんと恵まれていることか。彼女の前には真っ新で筋書きのないドラマチックな人生が開けているのだから。
見方を変えれば
2 位であることは、勝利を目指して戦った者にとってあまり意味はないかもしれない。だが、勝利によって得られる名声と引き換えに自由を謳歌するのも悪くないだろう。“アメリカズ・ネクスト・トップ・モデル” という人気のオーディション番組をご存知だろうか。ドイツにも同様の番組があるのだが、それを見ていて思うことがある。2 位になった女性が必ずしも優勝者の引き立て役では終わらないと言うことだ。第 6 シーズンで優勝したのは確かヤナという女性だったが、どんな女性だったかすでに思い出せない。それよりもレベッカという 2 位に選ばれた女性の存在感が際立っていたが、現在、彼女はテレビ番組の司会を務め、メディアに引っ張りだこだ。
“ネクスト・トップ・モデル” の例えが低俗だと感じる向きにはシェイクスピアを紐解こう。そう、あの有名な台詞だ。『王冠を戴くものは安心して眠れない。心の安息と充足感はむしろ 2 番手に訪れる』。英国のウィリアム王子とヘンリー王子を見て、次男のヘンリー王子の方がむしろ王位に相応しいと感じる人がいるとすれば、恐らくこのような思想が根底に潜んでいるからだろう。
変に期待しすぎてがっかりした経験は誰しもあるはず。“何か特別なことをしなければ感” が尋常でない年越しパーティーより、その時のノリで決めた飲み会の方が気楽で楽しかったりするのもまた然り。特に大人になってからの節目の誕生日も頭を悩ませるイベントのひとつだ。誕生パーティーにドレスコードなぞあれば、なおさらおぞましい。その点、29 歳、39 歳、49 歳の誕生パーティーはなんと穏やかなことだろう。ドイツでは大台に乗った年の誕生日の席で、しばしば主役がゲストの前でスピーチを求められることがある。今の心境。次の 10 年にかける意気込み……。こんなことをゲストの前で話さなければいけないかと思うと、それだけで気が重くなる。
人生においてラウンドナンバーばかり気にしても仕方ないし、中途半端な数字だからと言って塞ぐ必要もない。記念すべき 100 万台目に該当しなかったとしても、それは不運ではない。ミュージアムに飾られることはないだろうが、南仏を自由に駆け回るもよし、世界のどこか素敵な場所でのんびりドライブに興じるのもいいだろう。このタルガの場合、自由をカナダで満喫することになった。いずれにせよ、楽しい人生を願ってやまない。
999,999 台目の 911 よ、君に幸あれ!
文 Anja Rützel
写真 Heiko Simayer
幸運を手に入れたロブ
カナダ・オンタリオ州のトロントにあるウッドブリッチ地区に住むロブ・テヌータ(51)。彼が 999,999 台目のポルシェ 911 の所有者だ。「ちなみにこの赤いポルシェは 3 台目です。2006 年にケイマン、2011 年に 911 ターボを購入して、2017 年、3 台目としてこの赤い 911 タルガ 4 GTS を手に入れました。でも買い替えのサイクルはこれで終わるかもしれません。このクルマが 999,999 台目のポルシェ 911 だということを知って、『絶対に手放さない!』と心に誓いました。運命だったのでしょうかね。これまでは自分の眼で吟味して気に入った個体を購入してきましたが、今回は初めて自分好みにカスタマイズしてもらったのです。“次席” の 911 を所有できて心から幸せです。100 万台目の 911 は当然ポルシェ AG の所有となる訳ですが、この 999,999 台目が私のところにきてくれて本当によかったと思います。特別なことは何も予定していませんが、青空を見渡しながらオープンのタルガでドライブなんて最高ですよね。約束通り、初ドライブには父を乗せて行こうと思います。妻を先に乗せてあげられないのは申し訳ないとは思いますが、彼女も許してくれると思います。だって 25 年も連れ添っているのですから」
100 万台目の 911
2017 年 5 月 11 日、ポルシェのツッフェンハウゼン工場において累計 100 万台目の 911 がラインオフした。ポルシェ 911 は公道を走るスポーツカーのアイコンであると同時に、ポルシェ・ブランドを代表するモデルである。911 の開発に最初から関わってきたポルシェ監査役会会長の Dr. ヴォルフガング・ポルシェは、このように語っている。「54 年前、父と一緒に初めてグロースグロックナー峠を走りました。911 で走る楽しさは当時とまったく変わりません。911 は、1948 年の初代ポルシェ 356/No.1 と同様、常にブランドの中心にプロットされているのです」。911 ほどの成功を収めているスポーツカーは古今東西他に存在しない。ポルシェのレースにおけるおよそ 3 万回におよぶ優勝の実に半分以上が 911 によって達成されたものだし、路上においても過去数十年間にわたって唯一無比の価値を維持し続けてきた。その高い品質はもはや伝説のレベルに達し、これまで製造された 911 全車輛の 70 %以上が現在も稼働状態にある。
100 万台目の 911 は、1963 年に発売された初代 911 F の特徴を受け継ぐスペシャルカラー “アイリッシュグリーン” に塗られたカレラ S 。この個体はポルシェ AG が保有し、最終的にポルシェ・ミュージアムのコレクションとして迎え入れられるまでワールドツアーを行い、スコットランド高地やニュルブルクリンク周辺、米国、中国、その他多くの国々を巡ることになっている。www.porsche.com/museum