未来を考える
近い将来、自動運転車が普及するとしても、自分が進むべき道は自らコントロールしていきたいものだ。目指すは効率性の向こう側にある本物のドライビング・プレジャー。スタイル・ポルシェの責任者ミヒャエル・マウアーが、現代と未来におけるスポーツカーの魅力について、自らの言葉で語る。
もしかすると彼らにはトンネルの先に光が見え始めているのかもしれない。新車発表会や試乗会で若いブロガーやジャーナリスト、テレビのレポーターに 3 回も続けて「近い将来、わざわざクルマをサーキッ トで走らせる必要があるのでしょうか?」と挑発的に質問された。私の心中には様々な想いが入り混じっているが、答えは「イエス」だ。
彼らの未来図の中では、電動の自動運転車がモビリティの主流となっていく未来において、スポーツカーなど化石のような存在なのだろう。もしかしたら 20 年後のスポーツカーは、現在のサラブレッドやヨットのようにごく一部の人だけが手に入れられる憧れの対象になっているかもしれない。スポーツカーを走らせるのは単純に楽しいものだし、物理的限界を求める気持ちや自動車(=ポルシェ)の性能、自身の能力に対する欲望はこれから先も尽きないであろう。私はそう確信しているので、何度聞かれても「イエス」と答えるのである。
近い将来、自動運転車が普及していくとしても、自分が進むべき道は自らの手で制御し、効率性の向こう側にある本物のドライビング・プレジャーを体感したいと願う人は少なくないはずだ。スポーツカーに対する定義は未来においても変わることはないだろうが、クルマからの聴覚的フィードバックには変化が生まれると私は考えている。そう遠くないうちにサーキットでは禅のような静けさが漂う中でダイナミクスなレースが展開されるかもしれない。どれだけ速く、どれだけ危険で、どれだけ理想的な走りができているか。今では想像もつかないテクノロジーにより全く新しい形のレゾナンスがドライバーに与えられるかもしれない。
これから数十年先に実現可能になるであろう新技術の中には、未知の可能性が秘められている。でもきっとそれは昔も同じで、ヘンリー・フォードやフェルディナンド・ポルシェ、エットーレ・ブガッティといった偉大な先人たちでさえ電子制御によりブレーキが細密に制御され、自動ブレーキがかくも一般化しようとは、想像できなかったに違いない。
アナログレコードや手動式腕時計に底堅い需要があるのは何故か。いまだに万年筆で文字を書く人がいるのは何故なのか。人がドライブではなく散歩に出かけるのは何故なのだろう。いつの時代も新しい風が吹き込まれる度に何かがもたらされてきたが、人々に愛されるものはいつの時代も変わらないのである。
実用的でありながらドライビング・プレジャーを堪能できるクルマ。小型でもラグジュアリーで、エレガントでスポーティーなクルマ。これから先、街で様々なカテゴリーの自動車を見かけることはあっても、人間の感性に訴えかける情熱的な美学を体現するのはスポーツカーだけであろう。
未来のスポーツカーがどのようなデザインになるのか。あくまで想像ではあるが、数々の驚くべき機能を内包する斬新なフォルムを纏い、極めてコネクティビリティの高いレベル 6 もしくはレベル 7 の自動運転を達成した上で、人気のレーシングロボやレーシングドライバーのドライビングスタイルを模した走りのクルマになるかもしれない。しかし、ポルシェのスポーツカーに限っては必ずステアリングが装備され、今まで通りに自身の手で運転できるオプションが提供されるはずである。
“911” が配列された遺伝子を受け継ぐ未来のポルシェは、誰が見てもポルシェ以外の何物でもないだろう。これまでと同様に、これから先もポルシェのスポーツカーは高性能を控えめに主張するフォルムで見る者を圧倒してくれるはずだ。
文 Michael Mauer
写真 Stefan Bogner
ミヒャエル・マウアー
2004 年よりポルシェのデザイン部門を率いるミヒャエル・マウアーは現在 55 歳。2015 年末以降はフォルクスワーゲン AG のグループデザイン部門の責任者も務めている