未来の素材
アイディアで空想に耽るよりも、それを実現させることのほうが素晴らしい。ポルシェの研究開発を担当するスタッフたちは、様々な材料をまるでポルシェの将来を彩るテクノロジーへと具現化していく
イノベーションとは最初から目に見えるものとは限らない。ヴァイザッハでアセンブリーのプレ開発を担当するフィリップ・ケルナーはプレスされたスティールシートのパーツを机に置いて、このパーツが後でサイドシルに固定され、ドアのヒンジに取り付け、フロントガラスの側面を囲み、A ピラーとして使用されるのだと説明する。フロントウィンドウの左右両端を支えるこの支柱は、B ピラー、C ピラー同様、ボディとルーフをつないで居住空間を支える。特にカブリオレやロードスターなどのオープンカーの場合、車輛が横転した際に居住空間を確保し、前席の乗員を衝撃から守ってくれるのだ。
目に見えない力
A ピラーにさらなる強度を求めるポルシェのエンジニアたちは、隠れた金属パーツにまでその職人技をいかんなく発揮する。例えば薄鋼板と高張力鋼板。これらの断面を組み合わせるのは、端にいくほど薄く、中央部にいくほど分厚くなるため、思っている以上に難易度が高い。そこで匠たちはひし形の補強材が入った黒いプラスティックを高張力のスティールに被せ、内側から支えることで強度アップに成功している。「表面的には分かりませんが、液状で注入された短めの繊維強化プラスティックと金属の間にはさらに二層からなる熱可塑性樹脂のプレートが存在しています。私たちはこれを “有機シート” と呼んでいます」とケルナーは説明する。
こうしてポルシェ独自のハイブリッド・デザインを採用した 3D ハイブリッド A ピラーが新たに誕生したわけだが、最大のメリットはなんといってもその軽量設計だろう。カブリオレの A ピラーと同じように高張力スティールパイプを採用しており、5 キロ以上のスリム化を図ったにもかかわらず、車輛が横転しても曲がることなくその衝突安全性を確保している。
「未来型の軽量ボディには強度に優れたスティールやアルミニウム、マグネシウム、炭素繊維強化プラスティックといった様々な軽量素材が随所に散りばめられ、新しいタイプのハイブリッド・デザインに仕上がっています」と話すのは、アセンブリー・プレ開発担当責任者を務めるマティアス・フロッシュレだ。従来のソリューションと比較した場合、この 3D ハイブリッド・デザインは軽量、低コストでありながら、乗員の安全確保に大いに貢献していることは特筆すべきだろう。
918 スパイダーと新型パナメーラのブレーキペダルを見れば、こうした開発の根底にあるものが分かるかもしれない。そこにあるのはキラキラと黒光りしているファイバーだ。多くの人はこれが炭素繊維と考えるだろうが、ポルシェのペダルおよびアクチュエーターの開発を担当するエドガー・グルントケはそれを否定し、「これはガラスファイバーで強化されたプラスティックのプレートに備え付けられた熱可塑性ガラスファイバーです。純度 100% の素材は金属よりも軽く、常時安定しています」とグルントケはこの素材が今後 A ピラーに大きく関わってくるだろうと考える。「これまで誰もが市販モデルには不向きだと思ってやってきませんでした。しかし、私たちはそれを実践する世界初のメーカーとなったのです」とグルントケ。ポルシェの勇気は報われたのだ。ちなみにこの新しいブレーキペダルは、今後その他のモデルに採用される予定だ。
これに関してヴァイザッハのイノベーションおよびプレ開発管理部門で働くヘンドリック・セバスチャンも同じ意見だ。このオフィスでは未来への可能性を広げ、研究の評価と着手、そしてトレンドが分析される。ここで提起される問題点はガラス玉を覗きこむのとよく似ている。5 年、10 年、15 年後。カスタマーは何を望むだろうか。どんな技術が使用できるのだろうか。そうした問題提起には抽象的な考えや想像力だけでなく、実行に向けた忍耐力が必要となる。ポルシェの開発者たちは明確に定義された基本原理を大事にしている。「いかなる条件下においても優れたパフォーマンスを発揮することです。常に技術の限界に挑戦するポルシェのスポーツカーには、新しい素材と生産コンセプトが必要不可欠です。それがあればこそ、私たちはカスタマーのために持続可能性という付加価値を生み出すことができるのです」とセバスチャン。
そして新しい付加価値の創出に必要なのは、型破りな発想だ。例えば 918 スパイダーのヴァイザッハ・パッケージで採用された “ゴリラガラス” と呼ばれる高い透明度と強度を誇る薄板ガラスは本来、スマートフォンに用いられている素材だ。
「918 スパイダーで初めて採用したゴリラガラスは、2 層の薄膜ガラスの間にフィルムを貼ったものでした」とプレ開発部でデザインを担当するマルクス・シュルツキが説明する。918 のシート後方、ロールバーの間に取り付けられる約 20cm×20cmほどのリア・ウィンドウは、指で叩くとプラスティックのような音がする。「音だけ聞いているとプラスティックとしか思えませんが、正真正銘のガラスなのです。試行錯誤の末、ようやく実用化に漕ぎつけました」とシュルツキは得意げだ。 ポルシェは現在、積極的にアーチ状のウィンドウを採り入れており、最新のポルシェ 911GT2RS とカレラ T のリアサイド・ウィンドウとリア・ウィンドウには薄板ガラスが採用されている。この素材は厚さ 2mm 未満と薄く、約 40% の軽量化を果たしながらも落下物に対して従来比で 2 倍以上の強度を誇り、紫外線をほぼ 100% カットする。耐熱、防音性能も優れている。「走行時、高い周波数のノイズは風切音によってフィルタリングされますが、低い周波数のノートは残ります。ですから室内の音響を損なうことなく、水平対向 6 気筒エンジンから放たれる轟音をクリアに味わうことができるのです」とシュルツキは説明する。クラシック音楽好きの彼の耳を納得させるそのサウンドは、確かなものだ。
インテリアにおけるガラス革命
スマートフォンの普及に伴い、自動車業界のコミュニケーション技術は急速に進化を遂げている。エクステリアのコンポーネント以外にインテリア・ソリューションの開発も手掛けるマティアス・フロッシュレは、最新の取り組みを次のように説明する。「湾曲した形状のセンターコンソールにも薄板ガラスを使用しています。このガラス・フィニッシュにより、ドライバーとコ・ドライバーの操作性がイコール・コンディションになりました。ジェスチャー・コントロールによってメニューを起動し、ガラスに触れた際の “触覚フィードバック” によって、コマンドが実行されたことを確認できるのです」。
他のスタッフと共に様々なアイディアを出し合っているというヘンドリック・セバスチャンが未来のインターフェイスについて語ってくれる。「オーグメンテッド・リアリティ(AR)技術が最大限に活用されるでしょう。たとえばドライブの途中、窓の外に古城が見えたとします。するとサイド・カメラがその城の輪郭を捉え、インターネットを介して画像を照合。送られてきた情報を本物の城に重ねてリアルタイムでガラス面に表示する。そんなことが可能になるのです」。ガラスの間に挟んだフィルムをスクリーンとして機能させる技術の開発が進んでおり、太陽光の度合いや乗員の好みに応じた明るさの自動調節も可能な段階まで来ているらしい。
植物繊維のポルシェ
ポルシェは再生可能素材によるインテリアの開発にも力を注いでいる。「すでに植物繊維でできたドア・パネルが存在しますが、プレミアムスポーツカー・メーカーである我々の目に適うレベルのものはまだないですね」とはフロッシュレの言。しかし、あと数十年も経てば、ポルシェが納得するだけのクオリティに達したコンポーネントが提供されるはずだ。「2048 年を迎えるまでに有機繊維によるポルシェが完成するとは思いませんが、持続可能性やリサイクリングといったテーマは今後ますます重要性を増すでしょう。素材だけでなく、積層造形のように新しい生産方法の研究開発も重要になってきます」と、セバスチャンは断言する。
“積層造形” とは耳慣れない言葉だが、3D プリントと言えば思い当たる人も多いのではないか。パワーユニットプレ開発部に所属し、3D プリント技術を専門とするファルク・ハイルフォートとフランク・イッキンガーが、シリンダー型のパーツを紹介してくれる。それは電気モーターのローターシャフトで、電磁トルクをトランスミッションに伝達してくれる。「このパーツは特別なステンレス・スティールで出来ています」と説明しながら、ハイルフォートはシャフトの横に置かれた極めて微細なグレーのパウダーが入った小さなガラス・パイプを指差す。その顕微鏡でしか見えないほど極小のパウダーが大型パーツの基本材料だと言われても、ピンとこない人がほとんどだろう。レーザーを使ってパウダーを溶かしながら幾重にも層を重ねていく。パウダーでできたローターシャフトは最終的に 50cmくらいまで成長していくのだ。フライスや旋盤を使った従来の工法とは全く異なる “積層造形” によって造られるパーツのメリットは、余分なステンレス・スティールを再利用することによる原材料の最小化。そしてなにより、複雑な形状をいかようにも構築できる点にある。さらに、無駄な部分がないため軽量でありながら、表面の裏側は細かな波状になるので強度や耐久性の面でも優れている。
これまで旋盤だけでこのようなフォルムを作り出すのは不可能に近かった。従来の技術で同様の造形を求めるなら、まずシャフトの一部を成型し、然るべき後に溶接する必要がある。積層造形は非常に優れた技術だが、大きな課題を抱えているために市販モデルへ応用できないのだとイッキンガーは語る。「このシャフトをひとつプリントするために約 13 時間もかかるのです」。しかし……と前置きしたうえでイッキンガーは続ける。「この新技術は、開発の工程に変革をもたらしました。これまでよりはるかに早いテンポで設計の最適化とテストが繰り返せるようになり、アウトプットのパフォーマンスが大幅に向上しました。開発プロセスのイノベーションにより潜在能力の高い独自のプロダクトが見出しやすくなったのです。課題はまだ山積みですが、それを乗り越えてこそポルシェです」と、ヘンドリック・セバスチャンが補足する。
台の上に置かれたアーチ状のクーリングダクトを指差しながら、これぞ開発プロセスにおけるイノベーションの結晶だと言わんばかりにハイルフォートは言う。「私たちが日々ここで研究を重ねている技術は近い将来、ポルシェに大幅なパフォーマンス向上をもたらすコンパクトなユニットとして結実するでしょう」。
3D プリンターによって再生可能なポルシェが製造されることはないだろうが、2048 年には様々な新素材を適材適所で使いこなし、スティールとアルミニウムと炭素繊維を組み合わせたより軽量で頑丈なポルシェが実現しているに違いない。そのために必要とされるのは、確かな展望と研究開発過程における飽くなき探求心。そしてイノベーションを導き出す情熱だ。
心配はいらない。ヴァイザッハのエキスパートたちは、すでに必要条件を十全に満たしているのだから。
文 Thorsten Elbrigmann
写真 Rafael Krötz