深く吸い込む空気に、ただよう潮の香り。風は強さを増し、浜辺には波が打ち寄せます。水平線の上に目を移せば、空にくっきりと浮かぶ雲。夕陽を反射し、海辺全体を独特なオレンジ色で照らしています。疾風にもかかわらず、寒さは感じません。柔らかく染める光が、私をあたたかく包みます。
南部の海岸を旅の起点に
前日、私はスペイン南部の海岸にある小さな町を出発しました。カメラを持ってタイカンに乗り込み、悪天候でも素晴らしい写真を撮ることができる目的地へ走らせます。選んだ場所は、マラガです。さほど遠くない距離にありながらも、途中には走りを堪能するにふさわしい、地中海沿岸に伸びる道が現われます。
私が写真撮影を好きなのは、自然なことです。もちろん、フォトグラファーを職業にしていることもありますが、このようなロードトリップからは画像よりも多くのものが得られるからです。都市や田舎町、市場などでの人々との出会いが私にインスピレーションを与え、人生を豊かにしてくれます。カメラは私の感覚を研ぎ澄ませ、行動の道しるべとしての役割を担うものなのです。
まず訪れたのは、マラガのアタラサナス中央市場です。さまざまなマラガのモニュメントを描いた巨大なガラス窓のあるエントランスを抜けると、目の前には雑踏と活気にあふれた空間が広がっています。果物、魚、肉、コーヒー、チーズ、野菜、香辛料…。数多くの露店や屋台が並ぶ光景は、地中海の対岸にあるアラブの市場を思わせます。
しばらくして私は出発しました。今日中にロンダに到着できることを願いながら。
思いを馳せた憧れの場所
旅をする時、私は洗練さや心地よさを求めません。日常の寛ぎから離れた場所を好みます。子どもの頃、両親とスカンジナビアでの休暇を車中や小屋で過ごしてからは、南国よりも北国に惹かれてきました。ノルウェーの雪に覆われた山々の、電気も水もない簡素な小屋での一夜は、私にホテルの快適さ以上の意味をもたらします。素晴らしい写真を撮るため、心地よい場所を離れる。贅沢とは無縁の時間の中で、しばしばこの質素さが旅を非常に魅力的なものにするのです。
しかし、簡素なことへのこだわりが目的地を決めるわけではありません。私の旅の目的は、カメラではなく、脳裏でしか残せない瞬間をとらえることにあるからです。
ロンダは、長い間私が訪れたいと思っていた場所の一つでした。街の南端は巨大な渓谷によって切り離され、歴史的な2本の橋のみでつながっています。この壮観な姿に私は魅了されてきました。
ついに、待ち望んだ日の到来です。
マラガの市場を出ると、続いて向かう先はトルカルです。辺りには濃い霧がかかり、曲がりくねった道を登っていきます。途中、私はあるスポットに立ち寄り、休憩を兼ねて車を降りました。カルスト地形の印象的な風景が広がり、撮影に絶好の環境がつくり出されていたのです。いわゆる地形の逆転によって形成され、そそり立つ険しい断崖は約700万年前まで海底であったため、岩層は化石化した貝殻で覆われています。さらに走りを進め、エル・ブルゴを通過する頃には天候が回復し、壮麗な夕焼けを見ることができました。夜、ロンダに無事到着。オレンジ色の街灯を浴びながら、まるで迷路のように入り組んだ狭い旧市街地の路地を、タイカンを操りながらしばらく散策しました。
ザアラ・デ・ラ・シエラへ
その夜は見事な星空でした。しかし、冷たい空気が体を包み込みます。特別な照明効果での撮影を望むなら、全てを甘受しなければなりません。もちろん、私は喜んで受け入れます。空が濃い青色に染まる時間帯に、ロンダの有名な橋の上に立って日の出を待ちます。眼下には、激しい亀裂のように大地を切り裂き、古い町と新しい町を隔てる峡谷。文明と荒野の感覚を同時に味わうことができます。グランドキャニオンにいるかのような気持ちになりますが、わずか数百メートル先にはカフェがあり、店内はすでに賑やかな雰囲気にあふれています。しばらくしてから、私は朝食で体を温めるためにカフェに入りました。次の行き先はサアラ・デ・ラ・シエラです。湖のパノラマの景色を望む丘の上に立つ城は、今日のような澄んだ空気なら、美しい写真を約束してくれます。
午前中にロンダを後にし、湖上の展望台へと続く、狭く急勾配の道を駆け抜けます。タイカンは、旅の理想的なパートナーであることを再び証明しました。山の上にはカリフラワーのように膨らんだ迫力ある白い積雲が浮かび、ターコイズ色に染まる谷の水面に影を落とします。私はタイカンから降りて、息を呑むような絶景を眺めました。
さらに雄大なグラサレマ山脈を通り、大西洋岸に向かって進みます。道中、タイカンは常に人々の視線を引きつけました。2車線のラウンドアバウトを回る時には、2台の車が近づいてきて接触しそうになったほどです。ドライバー達が正しい方向にハンドルを戻してくれたので、事なきを得ましたが…。
大西洋の沿岸で
独特なオレンジ色で照らされていた海辺は、ジブラルタルの北へ車で1時間ほどのところまで来ると、今度は濃い紫色にきらめきます。夕陽はほぼ姿を隠し、海辺や景色全体が現実のものとは思えない光で包まれています。潮の香りを含んだ空気を深く吸い込むと、ふと心に浮かぶのは、私が育ったクックスハーフェンでの思い出です。私はよく友人と浜辺に行き、沈んでいく太陽を見ながら夕暮れを過ごしました。満潮時には波の音を、潮が引けば干潟のパチパチという音に耳を傾けた日々がよみがえります。そして太陽が水平線に消えると、どこか寂しさを孕んだ波音を背に家路につきました。
今、ここで再び感じている自分の意志が、おそらくこの瞬間をかけがえのないものにしています。
私の旅の目的は、カメラではなく、脳裏でしか残せない瞬間をとらえることです。
私のロードトリップの2日目が終わろうとしています。タイカンを降りてドアを閉める。一日の余韻に浸る時までもうすぐです。
アンダルシアの州都を旅の最後に
ひんやりとした空気の中、ホテルのテラスで朝食を取ります。数分前に昇った太陽が光を放ち、私をあたためてくれます。
昨日の海辺のような瞬間は、私の中で長く色褪せない記憶となるでしょう。
理性的な観点からいえば、光子がレンズを通ってカメラのチップに当たり、チップはその瞬間に私が見ているもの、例えば紫色の光や波の上の雲、海辺などを記録します。うまく撮れた一枚であれば、自分のインスタグラムにアップして、多くの人達とシェアすることができます。しかしカメラは、何年何十年、時には人生全体にわたって私の脳裏に焼きつけられる瞬間のようには、出会った光景をとらえることはできません。
ロードトリップ最後の目的地に、私はセビリアを選びました。ここはアンダルシアの州都で、海や山、森、荒野といった自然に恵まれるほか、ロンダのように陽気な雰囲気に満ちた小さな町です。スペイン南部での3日間は、このうえなく多様な魅力にあふれたものでした。自分自身の、そしてほかの人々の新しい視点を発見し、カメラに収めました。それでも、このようなロードトリップから自分の中に切り取った瞬間は、写真をはるかに超えた意味を持っています。